特別寄稿 次代を開くキーワード3
青年と活字文化
「心に在るを志となし、言(ことば)に発するを詩となす」とは、中国の古典『詩経』の一節であった。
志の国・四国は「詩国」である。美しき天地が、美しき志を育み、美しき詩を生むのであろうか。
四国新聞の前身、香川新報の記者であった、近代日本の青年歌人・香川不抱(ふほう)は謳った。
「吾ここに ありと叫びぬ 千(ち)萬(よろず)の 中の一つの 星と知りつゝ」
幾千万の星々と共に、「吾(われ)ここにあり」と自分にしか放てない生命の光を発する。豊かな活字文化を創り出す詩心が、四国には溢れているのだ。
誇り高き「詩国」の言論
私は、戦中戦後の荒廃の時代に青春を生きた。
幾多の尊い生命が犠牲となり、あらゆる価値観が崩れ去った、私自身も肺結核を病んでいた。
信じられるものも頼れるものもない。その時に、良書が、どれほど心の友となり、魂の糧になってくれたことか。人類の先哲たちは、名著を通して、無名の一青年に惜しみなく勇気を送ってくれた。
19歳の時から師事した教育者の戸田城聖先生は、常に「今、何を読んでいるか」と尋ねられた。
「若い時代に読んだことは一生残る。長編を読め。古典を読め。今、読んでおかないと、人格はできない」と厳しかった。
良書は、人類の心を結び合う橋でもある。
20世紀最大の歴史家アーノルド・トインビー博士と対談した折、博士は『万葉集』や『源氏物語』さらに『竹取物語』まで話題にされて、日本文化への共感を語ってくださった。
地球の名勝を旅してこられた博士が、「瀬戸内海は世界で最も美しい風景の一つ」と絶賛されたことも懐かしい。
博士は、1889年(明治22年)の4月生まれ。公平無私で温厚なジェントルマンであられた。しかし、ナチスの悪逆などとは激怒して戦いぬいてこられた。
私との対談の中でも、博士は言論の責任を強調されていた。それは「生命の尊厳」をはじめ正邪善悪に関わる問題に対しては、中立を装って傍観してはならぬということであった。
言論の雄「四国新聞」が創刊されたのは、トインビー博士と同じ1889年の4月。本年、晴れ晴れと創刊120周年を迎えられる。
その「発刊の辞」で、19歳の主筆・松永道一氏は、高らかに呼びかけた。
“わが香川は一地方の県だが、全大陸をも左右する勢力になるとの決心と希望をもとう”
それは、青年の大情熱が漲(みなぎ)る「活字文化」の歴史的な創造の出発であった。
今、若い世代の深刻な活字離れが憂慮されている。青年の、青年による、青年のための活字文化のルネサンスを、詩心の天地・四国に期待したい。
香川に光る「子ども読書の日」
香川県では、4月23日の「子ども読書の日」を中心に地域の図書館などで読み聞かせやお話し会が活発に行われていると伺った。また毎月、23日の週は、日曜から土曜までで合計60分以上を目標に、家族みんなで本を読む「23(にさん)が60(ろくまる)読書運動」も推進されている。
草の根の活字文化の興隆は、若き心の世界を伸びやかに広げる。それは、心豊かな家族の結合を深め、地域の文化を活性化させゆく力ともなる。
著名な大学者・中山城山(じょうざん)(旧香南町・出身)が讃岐の人物や歴史を筆録した大著『全讃史』は、1889年、四国新聞の創刊と同じ年に発刊された。
編纂を決意した60歳の正月、城山が認めた一詩が、私は好きである。
「たとえ八千の秋が去ろうとも、心は常に青春ならん」
常に新たに「挑戦しゆく心」――120歳の四国新聞と共に、「青年の心」が輝く1年の出発をお慶び申し上げたい。
いつも「23が60読書運動」に取り組んでいる、我が家の後継者たちは「池田先生が「読書運動」のことを知ってる」と大騒ぎ。
「いっぱい本読むぞ」と決意していました。感謝。