清らかな信心に知恵が湧現
結局、戦いの要諦は信心に尽きる。信心に始まり信心に終わるのです。その信心とは、創価学会を支え、守り切るという責任感であり、後輩を思う真心であり、そしてまた、大目的のために断じて勝つとの一念であると思うのですが、いかがでしょうか。
そこに初めて、仏智の湧現が必ずあるのです。秋元御書には「信心のこころ全ければ平等大慧の智水乾く事なし」(御書1072頁)との有名な一節があります。
「信心のこころ全ければ」とは信心が強情であれば、信心が清ければということであります。
「平等大慧の智水乾く事なし」とは一切を平等に、偏頗なく、正しく、的確に見通して、適切な処置をとっていける知恵、その知恵の水が常に生命を潤し、乾くことがないとの御金言なのであります。
信心に曇りがあるならば、知恵の水が乾いてしまう。それでは、人間性に潤いがなくなり、形式主義に流れ、増上慢になり、権威主義に陥り、全てが空回りとなって、人々を苦しめる結果になってしまいます。信心が清ければ、我が生命には常に知恵の水が流れ通い、妙法の名将として、民衆の真実の指導者として、立派な、悠々たる指揮をとっていくことができるとの御聖訓であります。