信心即生活の確立
御書にいわく「法華経を持ちまいらせぬれば八寒地獄の水にもぬれず八熱地獄の大火にも焼けず、法華経の第七に云く『火も焼くこと能わず水も漂わすこと能わず』等云云」(御書1536頁)と。
この御文は、法華経、すなわち三大秘法の御本尊を持ち、リズム正しい信心即生活が確立されているならば、どんな苦しい時代にはいったとしても、絶対に窮乏生活には落ちないという断言の書なのであります。
この御金言を強く確信して、題目を心豊かにあげぬいて、隣近所の人から、また職場の人々から、愛され親しまれる一人一人になり、全員が一歩前進されんことを心からお願いするしだいであります。
当時、創価学会は「『貧乏人と病人』の集まり」との「誉(ほまれ)」ある、悪口罵詈の時代。
窮乏生活に落ちないとの指導に、希望を抱いたメンバーが目に浮かびます。
当時も今も池田先生は「励まし」の達人ですね。
「貧乏人と病人」を救うことのできない、宗教に力はないのでは?
と考えると「誉」なのです。
しかしながら、昨今ではこんなこともあります。
隣近所の人、職場の人に「創価学会での役職」を自慢げに話す(けっして多くはないと思う)。
これだけ組織が大きくなってくると、そんな輩も出てくるということなのでしょう。
で、そのような言をなす方達は、隣近所・職場の方からは嫌われている――というものです。
私の地域でも、そんな方がいます。
組織での評判は、あまり悪くない(あまりです(笑))が、近隣の方からは、嫌われている――というパターンです。
逆に、学会員さん(特に幹部)からは、嫌われているのに、地域では評判のいい方もいます。
学会員さんが、学会員さんとの付き合いしかしていないという「現状」もあるのかもしれません。
私は仕事柄、地域の方と対話することが多いので、びっくりする話をお聞きすることがあります。
ここには書けない……。
「そういうお前はどうなの」と言われると、んー、まだまだです(苦笑)
どこまでいっても、どれだけ「苦労をかって」出たのか、なのでしょうね。
心ある一人一人が、組織でも地域でも「信頼と敬愛」の一歩を、「信心即生活」の実証を、勝ち取れる信仰者を目指していこう!