私見平和論


「魂の独立」を果たしてから、約17年。
そろそろ、地方組織でも、「平和に向けての行動」や「悲惨な事件をなくす運動」に関しては、他宗教との壁を取り払ってもいいのではないかとじる。
化義に、こだわらなくていいようになりましたからね。
で、いい味で、協力し合うことも必要なのではないか……と。


異常な原理主義的宗教を除いては、対話の余地があるのではないか?とう。
我が師匠は、どのような立場の人であっても「対話」されている。
結果的に、あまりいい結果が得られなかったこともある(稀少ですが)が、そのスタンスは変わることがない。
であるのであれば、「平和に向けての行動」などは協力の余地があるのではないか。


まだまだ、索の必要はあるテーマだが――。
どのような宗教であれ、「民衆の幸福」を目指しているものであれば対話は可能なのではないでしょうか。
8月が終わると、よく考えてしまう私個人いなのですが……。


仕事で、他宗教の方と話すことがあるのですが、宗派を超えて「尊敬」に値する方はおられます。
江戸時代からの悪弊で、檀徒におんぶされている神社・閣がほとんどですが。(笑)
でも「私が、創価学会員」ということを分かっていても、神社の神主さんや、寺院の僧侶の方と「いい対話」がはずむ事もあります。


まあ、あくまでも私の私見です。
去年の中ごろから小学4年生の子が「はだしのゲン」を学校の図書館で借りてくるようになり、「本当のことなの」と聞かれることがあって考えることが増えたテーマなのですが。(テレビドラマはもう一つでしたね)
子には「日本は被害者でもあり加害者でもあるんだ。でも、戦争という人間のおこす行為こそが悪いんだ。曲ったは人間を狂わせる。曲がったに反対して創価学会の初代・二代会長は牢屋に入れられ初代会長はそこで亡くなったんだよ」と話しています。


「世界平和」は、世界の民衆のいです。
1対1の対話から広めていくしかない。
自分自身の対話が「平和」への一歩だ!と確信したい。