ヒューマン随想
「女性の世紀へ」大切なお母さんに贈る〈1〉
ある日、ある時、二人のご婦人が、論議をしておられた。楽しそうでもあり、厳しそうでもあり、一級の評論家も顔負けの滔々たる討論である。
Aさん「政治が悪い!だから、私たちは、政治改革するのよ。当たり前の権利じゃないかしら」
Bさん「それは、そうね。信仰者だから、みんなのため、民衆の幸福のために働くわけだし、政治を語るのは、当然の民主主義の原理原則だものね。じゃあ、なぜ、無認識の中傷、批判をされるのかしら?」
A「それは、ほとんどはたんなる嫉妬よ。
これだけ全世界、全地球を舞台に行動している学会だもの、それだけで妬むような人間だっているわ。正義とか、論理とか、そんなもの、微塵もないのよ」
B「そういえば、日本人って、横並びが好きというか、人の足を引っ張るところがある。島国根性よね。」
A「人が信仰することへの偏見もあるわ。でも、真剣に生きようとすればするほど、偉大な信仰が必要になる。そうじゃない?
貧乏の人が多い!だから福運を積む信心をするのよ。
邪な宗教が多い!だから、真実の宗教を求めるのよ」
B「あのお題目がうるさいっていう人もいるけど……」
A「あら、そういう自分はカラオケに行って、夜中まで、怒鳴って歌っているじゃない!なんでも自己中心で、人のことを寛大に許容したり、理解できない、日本人の浅はかさ!」
B「なるほど。そう言われてみれば、本当に、そうね」
A「私の隣の家だって、犬が吠えたり、猫が鳴いたり、うるさくて……。だけど私は、慈悲があるから、何も言わないわ」
B「『聖教新聞』、取ってもいいけど、仏法用語があるからむずかしいという人もいるわね」
A「だから、聖教を読んで、仏教を勉強しなさいというの。仏教は、釈尊の教えよ。本来、すべての人が幸福になるために説かれたものなの。
だから、坊主だけのものではないわ。私たちみんなが、正しく、生き生きと生きるためのすばらしい哲学なのよ!興味本位の雑誌など読むよりも、何千倍も立派なことだわ!」
ある日、ある時、お母さんは、車で家を出発する。
お母さんの運転は、心配で見ていられないと、温かく冷静な目の子どもたちは言う。
皆には「事故を起こさないように!安全運転をしなさい」と注意するけれど、自分では、なんでも相手が思いどおりに動くと決め込んでいるようだ。
そのお母さんが口を開くと、とたんに明るい花が咲き、にぎやかな風が吹き、時には嵐が起こる。
たまに、お父さんと論議をする場合の鋭い論調は、総理を攻撃する野党の議員など、物の数ではない。
大学出のお父さんのタジタジの顔。お母さんの鮮やかな自由自在の論鋒は、どこかの国の大統領選挙に出ても恥ずかしくない。
「これは正しい!」「これは間違ってる!」「これは悪だ!」と、確信と自信にあふれた、明快なる速射砲。
「真実」と「正義」と「誠実」と現実直視の、その訴えのすばらしさ。理論的な教師も、その母たちの天才的な弁論に唖然として、ほめたたえるだろう。
――まったく学校では教わったことがないのに、世界の哲学がはらんでいる真理を、それも、わかりやすく具体的に弁論する賢明さは、大勲位や勲一等を受けても恥ずかしくない、大政治家の要素をもっている、と。
母は、わが家族と人々の幸福のために勇敢に立ち上がる。母は、どこかの嘘つきの代議士などよりも、ずっとずっと尊敬できる、偉大な政治家であると、だれもが思っている。
「母」に続け!
「創価の黄金柱」たる「壮年部」として、全力で戦っていきたい。
もうひと押しの、拡大!だ。