ある後輩との思い出


ノブは学会2世やった。
少年部のころから知っていた地元の1こちがいの後輩。
お互い、思春期には学会から離れてしまって会うことも無かった。


再開したのは、私が男子部本部長の時だったか……。
結婚して地元の団地に帰ってきたようで、彼を引っ張り出したのは、当時部長をしていたMさん。
私とは、もともと知り合いやったし、タイプも少し似ていたので慕ってくれて、たまに酒を飲んだりしてた。


ノブは、けっこう人生脱線していたようで、しゃぶ中でつかまったりして大変やったとか言ってた。
見た目も893風やったし、本職をしたこともあったようだった
悪い癖もあって――酒を飲むと家に帰ってから暴れることがあった。
「フラッシュバック」言う奴やったか。
最初は知らなかったのだが、うちの嫁さんが、ノブの奥さんと仲良くなって「ヘルプ」の電話が入るようになった。
たいがい、日付け変更線を越える時間帯だったかな。
時にはM部長とともに、時には嫁と共に駆けつけた。
奥さんと子供さんを避させて、止めるのが役目でした。


初めて、目撃した時、ノブは知られたくなかったようだったのを覚えている。
で、そのたびに、じっくり話し込むようになった。
酔いがさめてくると落ち着いてきて、まで話した。
最初はほとんど「けんか腰」やったなあ。


そんなことが何回かあってから、「俺、ほんまに変わりたいんや」と言うようになった。
私は時間の許す限り、家庭訪問しては一緒に唱題するようになっていた。
M部長もよく通ってくれていたようだった。
遅い時間が多かったなあ。
本部で人材グループを結成してノブも入ったりして、河合師範の指導や「御書」「大白蓮華」を共に学んだ。
唱題ノートを回していろいろ思うことを書かせたりもした。
「俺、嫁はん大事にするようになりたい」「あかんまだまだや」とか言いながら必死でついてきてくれてたなあ。
ほんまに変わりたかったんやと思う。


私のことを「あにき」って呼んでた。
「ノブ、その呼び方はやめーよ。親分子分みたいやんけ」とかいつも叱っていたが、なおらんかったなあ。


何年かたった、ある時「あにき!嫁が妊娠した。うえが男の子やけん。女の子がええな」と嬉しそうに報告してくれた
私は役職が上がってしまって、なかなか会えなくなっていた頃やったなあ。
M本部長が親身に面倒を見てくれていた。


そんな矢先、2000年の師走やった。
明け方にノブの母親から電話がかかってきてた。
私はその頃、夜中1時ころに帰って2時ころ就寝っていう生活リズムやった。
留守番電話に気がついたのは明け方の4時ころやったか……。
「ノブが……ノブが……プープープー」


連絡を取ると「○○病院にすぐに来て……」と
すぐに駆けつけた。
ノブの弟が救急入り口で立っていた。
「くすのきさん。兄貴に会うてやって」
「……」


入っていくと、静かにノブが横たわっていた。
交通事故やった。正面衝突。
大きいおなかを抱えた奥さんが横に座ってた。
あとのことはあまり覚えていない。
あちこち連絡して、御本尊様の前に座ったことぐらいか……。


葬儀の時、男泣きに泣いた。


今でもノブは、私と共に戦っている。
「あにき、手ぇぬいたらあかんでぇ」と声が聞こえる。
私の嫁は、今でもノブの奥さんとメールのやり取りをしている。
感謝してもしきれない。
下の子供は女の子やった。もう11歳かな。


あの唱題ノートは、わが家の宝になっている。
今日はノブの10年と2ヶ月目の月命日。
唱題しながら涙が止まらん。


人には「信心に感傷はいらない」と言っているが、こんな日が一年に何回かある。
事情があって、命日が分からず、過去帳に名前のない後輩も……。
私はいろんなメンバーの「思い」を背負ってる。


ようやく文字に起こす気になれた。
少しはあいつの分もやれてるかなあ……。