仏敵に対する一考察


Web上には、敵をあいまいにしている輩(やから)がいますので、ちと書き込んでおきます。
Romメンバーの索の一因になれば幸いです。


私が子供のころ、「鳥居をくぐってはいけない」とか「祭りにはいくな」と親に言われました。
私の地元では「ちょうさ」と言う太鼓台が地域を練るのですが、太鼓台の前についていたロープを子供会が引っ張っていました。
私は行きたかったのですが「そんなことをするとが当たる」と我が家では禁止でした……。
当時の坊主どもは、単純なことを打ち立てて、信徒に衣の権威を押し付けていたのですな。
まあ、当時の私にはよくわからない事でした。子供でしたからね。


で、今はわかります。
当時の創価学会は、僧侶と信徒の麗しき関係である「僧俗和合」を最優先していました。そのような時代背景だったことを考えると、創価学会の指導もそうだったのでしょう。
まあ、一言言っておきますが、その関係を否定したのは坊主どもです。
いまでは、改革同盟の青年僧侶以外の「坊主」はいなくてもいいことになりました(笑)


ここからが、大事なことです。
「追撃の手をゆるめるな!」と叫ばれた戸田先生獅子身中の虫に対する「怒り」を学んでいくしかない。
当時はおかしな坊主どもが「僧侶」という地位を権威づけるために「謗法」というを旗印に、学会員に「坊主こそが最も尊い」「信徒は、僧侶を敬え」と、押し付けていたわけです。


師である池田先生のもと「暗く重き、権威権力の鉄鎖」は断ち切られた。
魂の自由」を勝ち取ったのです。
第一次宗門問題を乗り越え、心ある本門の弟子が立ち上がったのが第二次宗門問題なのです。
あれから、19年。


今では、地域行事である「祭り」にも「参加して地域に貢献していきなさい」というのが学会指導です。


○顕をはじめとする、衣の権威をかざした「謗法」の権威を、わが「創価」は打ち破ったのです。


Web上とはいえ、「魂の自由」を勝ち取った歴史を書き込んでいくことが、大事なことです。


沖某のように、学会員でありながら、敵に対し「尊敬に値する」というような輩の言を用いるようなことがあっては「法を下げる」ことになってしまいます。
さまざまな事情で、書き込むことのできない「あるメンバー」に発信したく、微力ながら書き込ませていただきました(謝)


分かりやすく書き込んだつもりですが、質問があれば受け付けます。
Web上の同志に、エールを送りつつ……。


PS、オッキーと同じように私は、実名をさらしています。
だからといって、オッキーを相手にしているほど暇ではないです(笑)

その程度のものでよ(爆笑)