たゆまぬ日々の実践だけが、理想を実現する


第二に『壮大、華麗な希望に満ちた夢をもつのはよい。しかし、夢に化かされてはならない』
夢に酔うだけなら、だれにでもできるし、また、世間には夢に酔っている人が多い。しかし人生は夢ではない。ただ夢に酔うだけならば、人生は最後には幻滅しか残らないものであります。夢はいつかは必ずさめるものです。青春は大いに謳歌していただきたい。
しかし、その尊い青春の情熱をほしいままにし、夢に酔うのみで浪費に終わらせるならば、それは愚行と化してしまうことを知っていただきたいのです。そのような愚行の青春であるならば、行く手は悔恨の人生となるだけであります。最後は、悔いが残るだけです。
故に私は、夢を願いとして強くもつことが大事であると申し上げたい。それには、広宣流布の花盛りの途上における自らの使命を自覚し、妙法の、日蓮大聖人の命ずるままの実践に、尊い青春の情熱をかたむけていくことが、最も大切ではないかと、私は言っておきたい。それはなぜか。――大聖人の御聖訓に照らして、皆さん方の生涯が永遠の幸福への道に通ずることは明らかであるからと言いたい。妙法の革命児たる若き女の神髄は、この妙法を主体とする限り、自分の描いた夢は必ず実現する、といってよい。あとは、たゆまぬ日々の実践だけが、理を現実と化し、夢のごとき願いを、実現することが必ずできるのであります。
その力こそ、皆さんの生命の中の妙法にある。したがって、一人残らず、所願満足の法の原理を確信して、それぞれの希いを成就しきっていただきたい。

【第3回女子部関西総会 1968-11-3 大阪市・港体育館】

夢に酔い、理に酔う。
Web上にいる、内部アンチ等の輩はこんなかんじですね。(笑)


自分自身も「酔っている」とふと気が付き猛省することがある。
日々の祈りと実践がおろそかになってくると陥ってしまうのだ。
本来、人間とは「慢」しやすい生き物なのだ――とう。
だからこそ、生命哲学・人生哲学ともいうべき正しき信仰の実践がなくてはならないのであろうとう。


正しき師のもとに生まれ合わせた、福運に謝し、日々実践あるのみだ!
たゆまぬ実践の積み重ねにより、理の扉を現実に開くことができる。
あきらめるな!一歩でも前進の自分であれ!
と弱き自身の生命を叱咤。