御書こそ永遠の一書


次に、教学のことに関して申し上げたい。女子部は教学で立ちなさいというのが、師戸田前会長の遺訓でありました。
教学は、
第一に、目的観を開き、正しい人生観、社会観をもつために学ぶものである。
第二に、信の支え、実践の糧として学ぶものである。
第三に、日々成長し、前進するために学ぶものである。
第四に、指導力を養い、後輩を指導するために学ぶものである。

【第17回女子部総会 1968年(昭和43年)10-20 東京・日本武道館


私は、教学は得な方ではない。
いつも「退転しないだけの教学があれば良い」と言い訳している。(笑)
信仰が人生の羅針盤であるのならば、教学を学んでいかなければ……。


「行学の二道をはげみ候べし、行学たえなば法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」(御書1361頁)


御書を読んでいると「大聖人、うまい!」とじるたとえ話が良くでてくる。
わず手を打ってしまう。(笑)
また、相手に応じて信の浅い人には、わかりやすく書かれている。


現代と違い、携帯電話もパソコンもない時代。
離れている人とのやり取りは、訪ねていくか手紙しかない、しかも今のように郵便局があるわけでもない。
その上、いい紙があるわけでもなく、紙自体が非常に貴重であった時代だ。
なのに、残っているものだけで、あれだけの手紙や文書を書かれているのだ。
実際にはもっともっと書かれていたのであろうとう。


恵まれた時代に生きている私たちが、「御書はむずかしいから」などとは言っていられない。


日々、学んでいこう。
信力を強め、行力を磨くために。
共に、学び合おう。
共々に成長し、前進の糧になるように。


日々の積み重ねが力になっていく。
今年も残りわずか、一年の締めくくりだ。
「さあ、今日も御書を開くぞ!」