生命


今日、某関西系の番組で、ペットとして飼われていた動物を処分するところが紹介されていた。
一定の期間がすぎると、炭酸ガスをつかって窒死させる。


画面には、飼い主のさまざまな理由で、一方的に死を迎え入れなくてはならない、ワンちゃんやネコちゃんが映し出されていた。
そこで、働いている方の言葉に涙があふれた。
「本当に動物が好きでないとできません」
どうしようもないいの発露を言葉の中にじ取ることができた。


識して、他の生命を左右できるのは「人間」だけだ。
自身の命も、植物や動物といった、他の生命によって支えられているのだ。
毎日のことであまり考えることもないが、「謝」のいは忘れたくはないものである。
日々、謝の祈りを忘れないようにしたい。


次元が違うが、私は「死刑」には、反対だ。
人間が判断するという「冤罪」の怖さもあるが、裁判官の判断によって、「死刑執行官」という職を生み出してしまうことが、「いいのか」とってしまう。
命を奪う「仕事」をなさねばならない人が現実にいるのだ。
昔、映画や小説で見たことがある。あまりヒットはしなかったようであるが……。
死刑執行官の「精神的」葛藤には、「痛」がともなっていた。


しかし、簡単には言えないが、私は自分の家族が非道な被害にあったら、自分でけりをつけたいとうだろう。
山口母子殺害事件の本村氏の戦いを、尊敬する。


マスコミはもっとそういうことに、目を向けてはどうでしょうか。


私自身は、どんなことがあっても、戦い続ける自分でありたい。