四国広布史2


1956年(昭和31年)5月、池田青年室長(当時・以下青年室長)の指揮の下、大阪支部で11111世帯の弘教を成し遂げ、“不滅の金字”を打ち立てた。


1954年(昭和29年)9月より、青年室長は、関西の教学を担当。毎月一回、関西で黙々と人材育成の労作に取り組まれたのである。
この中のメンバーから、数名が選抜され、四国の教学を担当。毎月一回教学部員候補講義が開催。
候補試験合格者は、大阪で行われた口頭試験に臨み、青年室長等に面接を受ける機会を得たのです。


このころ、愛媛県徳島県でも夏季地方折伏が行われ、四国四県にも陸続と地涌菩薩が誕生、四国広布の基盤が築かれていったのです。
また、冒頭に紹介した。“不滅の金字”を打ち立てた戦いにも、四国の同志は主体者として参加していたのです。


1956年(昭和31年)7月、高知県に高知支部が誕生。
1958年(昭和33年)11月、香川県に高松支部が誕生。
1960年(昭和35年)5月、愛媛県に松山支部が誕生。
1960年(昭和35年)9月、徳島県に徳島支部が誕生。
この間、1957年(昭和32年)には「大阪事件」が起こり、雷雨の中2万人が集まった「大阪大会」にも、多くの四国のメンバーが参加。


1960年(昭和35年)5月3日、池田先生創価学会第三代会長に就任。


四国広布は、池田先生が手作りで築きあげた、関西と共に進展していったのです。