「東洋の哲学を語る」1

池田

―中略―

 20世紀は「戦争の世紀」だったといわれています。21世紀は「平和の世紀」「生命の世紀」「人権の世紀」にしていかなければなりません。その根本は、「魂の革命」すなわち「人間革命」です。「人間革命」なくして「人類の宿命転換」はありません。
 一人から、また一人へと波を起こし、千波万波と広げていくのです。結局、一人との対話から始まるのです。だから私は、毎日、語り続けています。仏典に「声仏事をなす」とありますが、語る以外に人間の心を変える方法はありません。平和を創出する道はありません。
 そこで私は、博士との間で、「東洋哲学を語る」と題して対談することを提案させていただいたのです。博士も即座に快諾してくださった。
 このテーマを今、論じる意義を、博士はどのようにお考えでしょうか。


チャンドラ 20世紀は、タゴール岡倉天心との対談で幕が開きました。当時は、インドも日本も、ともに西洋の文化の流入という新たな時代の変化に直面し、2人は東洋と西洋の文化の融合について語り合いました。


池田 今、私たちもまた、彼らと同じく、インドと日本という東洋の心から、世界の哲学を見つめ、新世紀を開く新たな精神文化の可能性を探求したいと思います。


チャンドラ 20世紀は、西洋の“技術”を東洋が取り入れた時代でした。なかでも日本人は、明治維新を通して、“技術”が西洋の独占物でないことを示しました。
 それに対して、21世紀は、西洋が、東洋からの指標を求める時代になってくると思います。東洋の伝統は、「多様性を受け入れる」ことです。それは、宗教だけではなく、人々の生活にも根ざしています。そういった意味で、これからインドで起こること、日本が経験することが、世界に大きな意味を持たせ、影響を与えることになるでしょう。


池田 東洋に息づく“多様性の尊重”“積極的寛容性”は、21世紀への確かなる指標です。この対談のテーマを「東洋の哲学を語る」としているのも、人類が生み出した“多様性”の哲学を考察し、その奥底に流れる人間としての基盤を見つめたいと思うからです。
 20世紀は、あまりにも単一の哲学、イデオロギーの皮相的な面にとらわれて、“文化の多様性”を否定してきました。例えば、西洋の“物質文明”を絶対的な価値としてしまうことの弊害は、多くの歪みを生じさせました。


チャンドラ そうです。ヨーロッパ文明は近代化に貢献しましたが、逆に環境汚染などの問題をもたらしています。そして今もなお、諸問題に対しても、精神の内面からの根本的解決を図れずにいます。いわば、政治的なアプローチにとどまっているのです。


池田 私も、諸問題の解決には、政治的な次元にとどまらず、文化や人間の心の交流といったさまざまなアプローチが必要であると感じ、SGIでも「平和・文化・教育」の運動を展開しています。
 本年(2000年)も、私は、SGIの発足25周年(1月26日)を記念しての「平和提言」をさせていただきました。そこでも、西洋の近代化が、軍事的、政治的侵略にとどまらず、「文化帝国主義」に基づく「文化侵略」という弊害を生み出したことを考察しました。
 そうした文化の衝突が、いまだに多くの民族紛争を引き起こしております。その克服のためには、文化や教育交流にあっても、「国家の顔」ではなく、多種多様な「人間の顔」をした文化交流、すなわち「文化民際主義」を21世紀の潮流にすべきことを訴えました。


組織も大きくなってくると多様性を認めないという弊害がではじめます。
その方が、組織運営しやすい。
細かな打ち出しで「戦い」を縛り、「会合」で時間を費やす。
結果、細かな打ち出しを垂れ流したことで幹部は安心し、現場からは喜びが失われる。
で、合理性を求めるあまり「数」だけにこだわってしまう幹部が多い。


だいたい、会合で「こうあらねばならない」的な話をする幹部が多すぎる。
しかも、きれいな言葉で押し付けてくる。
特に選挙に向けた活動に入るとそうなってしまっているように思えてならない。
選挙のための戦いからは、喜びは生まれない。
「何のため」がぼやけてくると、ただの選挙屋になってしまうからだ。


勝つことは大事なことだが、「選挙に勝つ」ことだけが大事なのか?
それも大事なことではあるでしょう。「負け」るとドーンと落ち込んじゃいますからね。
しかしながら、選挙戦に参加するのは、「成熟した民主主義国家」を目指し「四表の静謐」を祈らんがためであり「庶民の声」を政治に届けるためだ。


言論という武器を手に、打って出ることが大事。
そう考えると現場に必要なものが見えてくる。簡単なことだ「語り口」です。
政治の素人に挑戦させるわけですから「政治学習会」や「語り口」が必要なのだ。
挑戦者は、「語り口」を武器に「苦手な人との対話」に挑戦しようと祈り実践していく。
何かに似ていますね。そう「折伏」と同じです。
折伏」の場合は「語り口」が「喜びを語る」ことに変わるだけだ。
「選挙のための戦い」ではなく「信心の戦い」であるということを伝えていくことが大事なのだと思う。
その上で、その気にさせていく指導性が必要なのではないかと考えます。


対談の内容からは、かなり脱線してしまった……。
まあ、地元組織では、おかしな「幹部思想」を「純真なメンバー」に押し付けているように思えてならないので大きく脱線してしまったのですが。
創価学会組織にも“多様性の尊重”“積極的寛容性”が必要です。これだけ大きな組織なのですから「こうあらねばならない」的な押し付け信心になってしまうと本末転倒です。
それでも今回は、かなりマシです。
双方向の「会合」が少しは取れる体制になっているからだ。全くないよりいい。大前進だ^^


最前線のメンバーが「朗らかに・喜んで」戦えるようにフォーロー&バックアップしていこう。
その上で、自分の戦いにも「断じて勝つ!」と目標を定め全力で取り組んでいきたい。